日本に縄文時代はなかった?
昼ごはんを食べながら産経新聞を読んでいてびっくりしました。記事のタイトルは「スープで感じる縄文」というもので、小学生に縄文時代の調理法で縄文時代の人たちが食べていたスープを食べさせて昔の人たちの暮らしを想像、理解してもらおうということなのですが。
なんとびっくり、小学生の歴史の教科書から縄文時代は十年以上消えていたんですね。これは凄い!!
「ゆとり教育」ということで日本の歴史は弥生時代から学ぶことになったらしいんですけど、いやー、授業時間を減らすのが「ゆとり」かどうかは別にして、もっと「ゆとり」を生み出すためなら日本の歴史は江戸時代あたりから始まったことにしちゃうんでしょうか。
本当にすごい、これを考えた人はきっと歴史の流れを学ぶことで子どものなかに浮かんでくる好奇心、学ぶ心なんて考えたこともないんでしょう、どうしてそういう発想の人が教育に携わるのかとても疑問です。
縄文から弥生への流れ、その時代の人々の暮らし、そして次の時代への継承。その流れを学ぶのが歴史の授業の意味のはず、そうかそれを断ち切っていたのか・・・・・
書くと喋るは大違い
ブログを始めてみようと思ったということはちょっとは自信があったわけです。つまり文章を書くことに、それはどこからきているかというと、僕は結構上手に話せるじゃないかというところに由来しています。友達や他の人と喋っていても「よく知ってるね」とか「なるほど」とうなずいてもらえることが多々あるわけです。しかもキーボードを打つのは抜群に早い!
となればブログしかないじゃないですか。頭の中にはこんこんと湧き出る水のように次から次から新たなはなしが浮かんできます。
そしておもむろにキーボードの前に、さー溢れ出る才気を文章にせん。せん、せん、全然書けない。あらっ、画面を前にフリーズ、さっきまで頭の中をかけめぐっていたのは何処へ。
書くことのむずかしさを厭というほど思い知らされたブログデビューです。
死者を鞭打て
というタイトルのミステリィが日本と外国にそれぞれあります。日本版は僕の大好きな鮎川哲也さん、洋物はこれも大好きなギャビン・ライアルの作品です。それぞれ内容の色気は違うのですが、タイトルはドキッツです。
どうやら洋の東西を問わず死者に鞭打つというのはとんでもないことのようです。日本でも「死んでしまえば仏様」ということばがあります。
それをつくづく感じさせてくれたのが今回の横綱朝青龍の引退劇、引退当日の夕方のテレビをあちこちとぼんやり見ていたらすごいのがありました。評論家(解説者というのか?)が横綱審議会を口を極めて批判しているもの、隣のアナウンサー(とは今はいわないらしいのかも)大業にうなずいていました。いわく、横綱審議会は温情がないと・・・・温情ってなんでしょう。ぜひ確認してみたい、そう言っていた方と横でうなづいていたアナウンサーに。(続きます)
不起訴と示談書
あまりテレビを見ない僕でもニュースは見ます。最近は小沢民主党幹事長と朝青龍の暴行事件を報じるニュースが多くてちょっと辟易しています。この二つの事件、誰が見ても両者の言い分をすべて信じることはできないと思っているはず、それでも当事者お二方はご自身の身の潔白を訴えるわけです。それはそうですね。
そして不起訴と示談書というアイテムがでてきたわけです。ただこの二つ、本当に身の潔白を証明するものではないことは当事者も重々ご承知のはず。しいて言えば黒と決め付けることが出来ないくらいの意味しかないのにこれを楯にしての強弁を続けるのでしょうか。
と思っていたら朝青龍、やめちゃったんですね。うーん。どうする小沢幹事長。
4本のボルト
実は鉄道少年です(でしたか)。という訳で今回の新幹線の事故はショックでした。新幹線といえば安全というイメージが強いでしょ、「安全神話」という半ば揶揄した言葉もありますけど。
それが今回の事故です、パンタグラフがすっ飛んで、架線(ちなみにがせんと呼ぶとプロっぽいのですが)が切断、沿線火災が発生、その結果長時間にわたる運転停止。
その原因がパンタグラフを留める4本のボルトすべてのつけ忘れと言うのですから何をかいわんやです。それ以上にひどかったのが当事者であるJRの釈明会見、今後の事故再発を防止するため部品管理を徹底するとのこと、要するにもしボルトが4本残っていたらそれはどこかに付け忘れているのだから再確認できるということらしいのだけれど。
大変残念だけれども何か勘違いしていませんか、それで事故がなくなるはずがない。必要なのは作業している人の資質をどうやって高めるかなのにそれがわかっていない。はなはだ乱暴な意見ではありますが、今回ボルトを付け忘れた人と同じレベルの人を部品管理に当てたとしたら同じミスを繰り返すでしょう、つまり4本数が合わなくてもそのままオーケーサインをだしてしまう、これでは事故はなくなりません、事故が起きる確率は下がるにしても。
ではどうすれば、確かに人間がしている限りミスはなくなりません、だからといってそこで開き直っては見もふたもない、どうするか。それはやはり実際に作業される人に二つのことを求めることです。ひとつは自分がしていることの目的を理解させること、そして想像力をもってもらうことです。
今回の事故も作業をした人がその作業の目的を理解し、それがきっちとされなかったときに起こる最悪の事態を想像することができていたなら起きなかったでしょう。
人的要因による事故を防ぐのは当事者本人の資質を高めること、それをフォローする雇用者の責任だと思うのですが、JRの記者会見はちょっとさびしいものがありました。
ファンキーという贈り物
酔いつぶれて目をさますとつけっぱなしのテレビで女の子二人で仕切っている音楽番組をやっていました。
見るともなしに見ているとスイングジャーナルという雑誌の編集長と吉祥寺のメグというジャズ喫茶を訪れる場面が、ジャズ喫茶という言葉自体が新鮮に感じられる世代を見ていてほんとうに久しぶりに思い出しましたファンキーという場所を。
ジャズ喫茶のファンキーといえば吉祥寺では有名なお店、とりたててジャズが好きというわけでもない僕より想いがたくさんという方が多いでしょう。そんな僕がほとんど毎日のように高校のあった国立から吉祥寺まで通ったのは仲の良い友達がジャズ好きだったということと、お小遣いの少ない高校生が長い時間だべっている場所として最高だったということです。
たまに吉祥寺に行くとファンキーの面影などまったくなくなった場所の前を思わず歩いてしまうことがあります。
帰りにはレモンドロップのケーキを買って帰ります。ファンキーなどまったく知らない子どもたちのために。
こしょうの瓶
らーめん屋さんで食べていたら突然カウンターに物を叩きつける音、びくっとしてそちらを見ると中年の女性がこしょうの瓶の底を思いっきりカウンターに叩きつけ、お店の人に「出ないわよ」。慌てて別の瓶を差し出す店員さん。瓶をふるとでなかったのか、再度力いっぱいカウンターに瓶の底を叩きつけると気がすんだのかこしょうが出たのか新聞を広げると黙々と食べ始めました。この中年の女性(ブログではおばさんと書いてはいけないのだろうか、それとも中年という言葉が禁句なのか)先ほどまで携帯電話で大声で喋っていたけれど話の内容を聞いていると(聞こえてしまうんです、大声だから)「先生」「先生」という単語がなんども繰り返されていました。
おばさんが立ち去ったあとのどんぶり、だらしなく残された麺の中にはしが刺さっておりました。そうか品性のかけらもなくても「先生」か。
考え、工夫する
会社のモットーに「考え、工夫する」というのがあります。あたりまえのことのようですが、そうでもない。昨日と同じことの繰り返しに甘んじている人を結構見かけます。甘んじているというか、それすらも感じていない、最初に教わったとおりの繰り替えし、だから進歩がない。ある意味安定しているといえるのかもしれませんが。その一方で考え、工夫する人がいます。どうしたらもっと上手くなれるのか、考え、工夫してためしてみる。もちろんいつも成果をあげれるわけではありませんが、やってみることに価値があると思います。
考えない人、工夫する人、その違いはどこから生まれてきたのだろうと考えることがあります。同じ仕事をしていても片一方はずっと同じ、片一方は失敗もするけど伸びていく。性別・年齢には関係ありません、いったいどうしてなのか、どうして考え、工夫することをしないでいれるのか。不思議です。それでは仕事をしていてもつまらないでしょうね。
趣味と仕事
どんな職業につこうかと考えたとき、自分のやりたいことをやって生活できたらと考える人と、仕事は生活のため、自分の好き嫌いではなくて待遇がよければそれでいいと考える人にわけられると思います。
30年以上前社会人になったとき仕事先の公務員の方に、「早く退庁時間にならないかな、仕事が終わってからが自分の人生なんだから」といわれてびっくりしたことを思い出します。この人にとっては仕事は生活の糧を稼ぐためだけのもの、勤務時間はただただ耐えるのみのものだったんでしょうね。たしかに仕事は厳しいものですが、一日のうちの三分の一の時間をただ耐え忍ぶだけの時間と考えるのはどんなもんでしょう。
いっぽう自分のやりたいことを仕事にしたときはどうでしょう、これは楽しい、時間の過ぎるのも忘れひたすら働く、とくに若い時は体力もあるし、なんといっても好きなことをやってお金になるわけですから、一日6時間、ひと月100時間を超える残業、平気平気なんでもない、というパターンが多いんですよね、とくにモノづくりといわれる業界に・・・・幸せな毎日、仕事って楽しい。
がずっと続くかというとそうじゃない、現実の壁にぶつかり、うろたえます。こんなはずじゃなかった・・・・と。
業界用語
会社の求人広告、ホームページを見てよく聞かれるのが「軽作業(つけまつげの作成)」についてです。
つけまつげ作りってなんなんですかと、これは本当に手作業でつけまつげを作るのですと説明すると、びっくりされて「印刷業界のなにか専門用語なのかと思いました。本当につけまつげを作るんですね」と妙に感心されてしまいます。
確かに印刷業を営んでいるはずの会社がまつげ作りとは考えにくいのでしょうが、「つけまつげ」というのが印刷業界の業界用語(隠語)と考えてしまう発想力もすごいと思います。
お寿司屋さんでお茶のことを「あがり」と呼ぶのはもうごく一般的になっていますが業界ごとにそれぞれ独自の業界用語があるんでしょうね。では印刷業界人ぽく見える言葉づかいをひとつお教えしましょう。
それは「スミ」です。黒色のことを印刷業界では「スミ」という言い方をします。「黒一色で印刷して」というかわりに「スミイチでお願いします」というように使います。ちょっとそれっぽいでしょ。
それでもいろいろあるもんで、僕より20歳くらい年上の印刷屋さん(それだけ業界歴も長い)と打ち合わせをして、最後に「じゃあ刷りはスミ一色で」と確認したところ、あわてて「違う、違う、スミじゃなくて黒で印刷して」と言われててしまいました。うーん、言葉は難しい。
